落語家・三遊亭小圓朝さん亡くなる!その名跡にあらわれた強烈な病難暗示とは

 当サイトをご訪問いただき誠にありがとうございます。今回は、2018年11月15日に亡くなった落語家の三遊亭小円朝さんについて書きたいと思います。今年亡くなった三遊亭小円朝さんは4代目三遊亭小円朝(さんゆうてい こえんちょう)であり、肺炎によって49歳という若さで亡くなりましたが、早速名前を調べてみると非常に悪い暗示がありました。そこでこの名跡についてさらに調べてみると、なんと2代目・3代目までもがこの名跡を継いだ後に病気で死亡していたのです。その病難暗示とはどのようなものなのか、詳しく見ていきましょう。

『三遊亭小圓朝』という名跡に見える強烈な病難暗示

 早速ですが『三遊亭小圓朝』という姓名を見てみましょう。四大運に凶数があり三才は【金・木・金】という大凶配置です。人格の12は元々が薄弱的凶数で病弱傾向がありますが、それに加えて天格と地格双方の金から剋されていますので、極めて健康を害しやすい配置です。特に天格と地格は両方とも28の陰金であり、陰金と陰木の関係は沖という対立する関係ですからなお悪く、この名前を冠すれば次第に衰えて病弱になる暗示があります。  また四大運の凶数と三才の配置は、境遇安定せず成功運も弱いですので、思うように伸びられない暗示を端的に示しています。このため努力しても功得られず、周囲からも評価されにくいことに加え、次第に体調を悪くして軌道から外れるということが往々にして起こるのです。後にどのような病気に犯されやすいのか、その具体的なところを見ていきますが、まずは3人の概要について順に見ていきましょう。  概要はウィキペディアの【三遊亭小圓朝】のページから引用してお伝えしたいと思います。ちなみに初代・三遊亭小圓朝である『倉片省吾』という方の詳細は分かりませんが、三遊亭小圓朝から三遊亭圓楽、そして三遊亭一朝へと名跡を経たようです。『初代三遊亭小円朝などを経て、17年頃2代目三遊亭円楽と改名。大正8年二三蔵(のちの8代目林家正蔵)に円楽を譲り隠居名の三遊亭一朝と称す。円朝の噺を後進に伝えた。』(コトバンク【三遊亭一朝】より)

2代目・三遊亭小圓朝氏

2代目三遊亭 小圓朝(安政4年12月16日(1858年1月30日) - 1923年(大正12年)8月13日)は、落語家。本名は芳村忠次郎。 2代目三遊亭圓生門下の三遊亭圓流(後の三遊亭圓麗)(本名は芳村源六)の息子。8歳の時から初代三遊亭圓馬門下に入って圓平の名で寄席に出演している。一時期6代目桂文治門下で桂文之助と名乗っていたこともあるという。 15歳の時に父の弟弟子三遊亭圓朝の門下に入って朝松となる。前座を3年務めた18歳の時に、圓朝や4代目圓生が名乗った由緒ある名である、3代目橘家小圓太を名乗る。嘱望されたにも関わらず女性問題や借金でしくじり破門寸前までになったため、一時期ドサ廻りに投じた。25歳の時に帰京して師匠圓朝に謝罪し三遊亭圓花を名乗り再出発する。1885年には元の小圓太に戻り、1893年ころには初代三遊亭金馬に改名し真打の看板を上げた。それまで「立川金馬」として受け継がれてきた金馬の名であるが、金馬は初めて三遊亭の亭号を名乗ったので「初代三遊亭金馬」である。 1903年8月に三遊亭圓馬に改名したが、大阪に存在していた圓馬(本名:竹沢釜太郎)から苦情が来たので1905年1月に三遊亭小圓朝に改名することになった。同年には「第一次落語研究会」発足に参加。 後に一朝となった初代小圓朝は公認ではないから代数に入らないため、芳村忠次郎の小圓朝が初代であるという藤浦三周の言葉によって初代小圓朝を名乗ったというが、現在では一朝の初代小圓朝の方を初代というようになっている。 1922年に中風に倒れ、一旦回復したものの静岡巡業中に再発したため東京へ帰ったがすぐに死去した。享年67。 ウィキペディア【三遊亭小圓朝】
 『中風』とは脳内の出血などにより、手足のしびれや麻痺などの症状をもたらす病気のことだそうです。ちなみに脳や頭部を象徴する五行としては木がありますが、先ほども見たように『三遊亭小圓朝』という姓名においては木が強く剋されていました。このため【金・木・金】という三才は脳の病に冒されやすいことが分かります。また木は神経を象徴する五行ですので、この配置では抑うつなど神経症に罹りやすいことも分かります。概してこのように人格の木が金に剋される配置の人は神経質で、気分の浮き沈みが激しく、自律神経に乱れを生じやすいでしょう。  ちなみに【金・金・木】のように人格の金が他格の木を剋す人は随分と様相が異なります。このような人は人格(性質)が金であるため概して豪放な性格であり、やや攻撃的な一面を秘めています。金が木を剋すため神経が尖りやすく好き嫌いの激しい一面があり、外見はどうあれ気性が荒いでしょう。ですのでこちらは人格が木の人と随分と趣が異なりますが、それでも脳に病源が出やすいという点は変わりません。  次は3代目・三遊亭小圓朝さんについて見ていきます。

3代目・三遊亭小圓朝氏

3代目三遊亭 小圓朝(1892年(明治25年)8月8日 - 1973年(昭和48年)7月11日)は、東京府東京市下谷区(現:東京都台東区)出身の落語家。本名は芳村幸太郎。出囃子は『小鍛冶』。 祖父は三遊亭圓麗(本名:芳村源六)、父は2代目小圓朝という落語一家に生まれる。落語には興味なかったが高等小学校卒業の1907年2月に父の門下で朝松となり、2、3年ほどで二つ目に昇進し小圓治と改名する。父のドサ廻りに自身もついて行き、2年ほど経った後に帰京する。 それから1917年2月に真打昇進して2代目橘家圓之助を襲名。後に4代目橘家圓蔵に預けられ、1922年5月に4代目三遊亭圓橘を襲名。翌年父小圓朝死去し、1927年3月に3代目小圓朝を襲名。一時橘家圓喬の襲名を計画していたが戦争がはじまりそのごたごたで襲名が実現せず、1943年5月には船勇亭志ん橋と名乗らされるが、1947年3月には小圓朝に戻している。 地味であるがしっかりした江戸前の芸の持ち主で『しわい屋』『権助提灯』『あくび指南』『三味線栗毛』『粗忽の釘』『笠碁』『二番煎じ』など持ちネタは多かった。しかし他の大看板の影に隠れ勝ちで、寄席の出番も浅く不当に評価された嫌いはあった。一方、若手や大学の落語研究会の稽古台として多くの人物を育てた。 1967年(昭和42年)7月、脳出血で倒れ高座に上がらぬまま1973年没した。 ウィキペディア【三遊亭小圓朝】
 こちら3代目は80歳没ですので長命ではありますが、やはり『脳出血』を起こしているという点は注目に値します。『1947年3月には小圓朝に戻している』ということですので、亡くなったのはそれから約20年後のことです。先天運をうかがうと晩年に強い喜神運が訪れていたため長寿となりましたが、努力の割に結果が出ず、また相当の苦労をされたことは『三遊亭小圓朝』という姓名が物語っています。    最後は4代目の経歴を見てみましょう。

4代目・三遊亭小圓朝氏

4代目三遊亭 小圓朝(1969年〈昭和44年〉6月16日 - 2018年〈平成30年〉12月15日 )は、東京都豊島区出身の落語家。円楽一門会所属。本名、高橋 秀帆。出囃子は『舌出し三番叟』。代々木高校中退。 父は3代目三遊亭圓之助。母方の祖母は漫才師の大江笙子、祖父は漫才師の大江茂(元・砂川捨夫、後に凸凹ボップ・ホープのボップ)。 高校時代に父が死去。落語家は苦労すると思い、芸界には入らず運送会社などでサラリーマンを経験する。しかし諦めきれず、1992年に10代目柳家小三治に入門した。2年ほどで破門され、落語界から退くが、亡き父・圓之助の弟弟子である6代目三遊亭圓橘に再入門を許される。二つ目の間は父と同じ4代目圓之助を名乗っていたが、真打昇進とともに、父の師匠の名である小圓朝を襲名した。 6代目圓橘一門の総領弟子であった。 2018年11月末にインフルエンザに罹患し入院療養していたが、同年12月15日6時25分、肺炎のため東京都の病院で死去。49歳没。生前最後の高座は同年10月の千葉県富浦で行われた落語会の一席となった。 ウィキペディア【三遊亭小圓朝】
 4代目の死因は『肺炎』ということですが、肺を象徴するのは金の五行です。このため【金・木・金】という配置は脳などの他に肺にも病をもちやすいことが分かります。金はその他にも呼吸器系や大腸や小腸、或いは喉なども象徴しますので、三才が悪い場合はそれだけで様々な病気に罹りやすいことが分かります。  概して三才に強い相剋がある場合には、自身の性質や行動が特定の部位を弱めるように働きやすいものです。たとえば【金・木・金】という配置でしたら、短気でネガティブ思考のため神経を弱めるとか、タバコがやめられない(やめようとしない)とか、高血圧を呼び込むような暴飲暴食を繰り返す等です。このような行動は全て本人の性質から来ているわけですが、その性質を象徴する姓名に相剋があると生活の質や傾向も偏りやすいのです。  このため三才が悪くとも心掛けが良ければそれだけ悪い面を修正できるわけですが、それでも姓名の暗示力や誘導力というものは無意識に働くため、改名を行うだけでも相当の効力があると言えるでしょう。それでは一応、五行別に象徴する体の部位を載せておきますので是非とも参考にしてください。
五行象徴する部位
肝臓、胆嚢、膵臓、脳、神経、頭部、甲状腺、目など
心臓、血脈、血流、唇、精神、顔面、舌など
胃、脾臓、腹部、鼻、乳房、脂肪など
肺、呼吸器系、大腸、小腸、喉、歯、腰など
腎臓、膀胱、泌尿器系、陰部、骨、耳など
 という具合です。以上が簡単にですがそれぞれの五行が象徴する部位ですので、三才において強い相剋がある場合は特に剋される部位に病源をもちやすいと言えます。このため【金・木・金】という三才では木が強く剋されるため、主には肝臓や膵臓や脳や頭部といった部位に病源があらわれやすいでしょう。また金も木を剋すことで弱められるため、金が象徴する部位にも病気を生じやすいのです。  また、たとえば私の父親は【木・木・金】という配置で木と金が沖の関係ですが、若い時に座骨神経痛をやってから腰(金)が非常に弱いです。また中年期には仕事中にハンマー(金)で手を打たれ指の神経(木)を損傷しました。三才は姓名(生命)の根幹であり柱ですので、このように直接的に現象としてあらわれやすいのです。これに対して【木・木・木】という三才配置は木が立派に茂っている形ですので、概して神経が図太く秀でた胆力をもった豪快な性格となるでしょう。(※ただし四大運の数や先天運にもかなり影響を受けます。)  もちろん全てが姓名によって決まるわけではありませんが、三才に相剋がある方はその弱い部分に難があらわれやすいですので注意が必要です。    以上、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

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