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『六殺』『本殺』『頭殺』『同格同数』などなど、同格(同画)関係の占い手法に何の根拠もない理由!

命名のご依頼などでお客様から度々ご質問をいただくのがこの『同格(同画)』の凶意についてです。この同格系の占い手法については世に広く行き渡っているらしく、姓名判断について少し調べはじめるとすぐに行き着くようで、私のところにも『苗字の最初の文字と名前の最初の文字が同数になるのですが大丈夫でしょうか?』や、『姓の最後の文字と名の最初の文字を同数にしないようにお願いします』などというご質問・ご要望をたまに受けます。

私はそれのご質問やご要望に対し、『同格同数理論は何の根拠もないものなので大丈夫ですよ、ご安心ください』のようにご説明するのですが、何度も説明するのは大変なので今日は一つ記事を書いてみようと思いました。

そもそも、この同格系の占い理論には、『殺』という文字がよく入るのですが、この『殺』とはどこから来たのでしょうか?まずはそれについて解説したいと思います。

そもそも『殺』とは?不幸な人を怖がらせるための脅し文句『殺』についての考察

おそらく『六殺』『頭殺』などにある『殺』は、元々は四柱推命の七殺(ななさつ)から来たものではないかと思われます。四柱推命における『七殺』とは、生剋名である偏官が、日干から数えて七つ目にあるということから『七』。そして『殺』というのは官殺の殺で、官が忌神となって大過すると日干を強く剋傷して生命の危険があるということから『殺』の意とし、あわせて偏官を『七殺』と呼んだのです。これはもちろん意味のある『殺』です。

しかし、そんな四柱推命が日本に渡ってきますと、日本式の考えでもってあれこれ占い手法がひねくり回されたあげくに、『算命学』という四柱推命を土台にした面白い占いが生まれてきました。そしてその算命学の中で出てくるのがご存じの方も多い『天中殺』というものであります。この天中殺というのは、元々空亡理論を元にしたものなのですが、そもそも四柱推命における空亡理論自体が何の根拠も無いものなので、この『天中殺』というものにも当然理論的な根拠はないのです。

それではなぜこのような『天中殺』といったものが広く知れ渡っているのかというと、人々を脅すのに都合が良いものだったのでしょう。占い師の仕事の半分は不幸の人々を怖がらせ信じさせることですので、多くの占い師によって好まれることは当然であります(私も人のことは言えません)。

なおこの空亡の真実については、四柱推命旺の方で【六十干支と空亡】という記事を書いておりますので、よろしければこちらをご参照ください。実際はなんていうことのないものです。

さらに、この天中殺というものは元々12年周期のうち2年あるのですが、それを3年に拡大した『大殺界』というものも出てきて、ここまで来るともう止められません。元々、四柱推命のほうでも何の根拠もない理論だと言って様々なところから批判を受けていた空亡が、日本に渡ってきて『殺』と名付けられ、人々を脅し怖がらせてお金儲けに一役買ったということが真実ではないかと思います。

ちなみに『空亡』という言葉は、空亡が「十干と十二支を組み合わせた際に生じた十二支のあまり」であるため、干支が『欠ける・亡くなる』といった意味から来ていると思われます。そして日本では、この『亡』という言葉のネガティブな印象を、官殺の『殺』へと無理矢理つなげたのではないでしょうか。『亡』と『殺』では、同じようにネガティブな印象がありますが、その言葉の意味するところは全く異なります。

理論的根拠のない同格同数の実際

そして算命学から影響を受けたのか、姓名判断にも『殺』の付いた理論が次第に登場するようになりました。それがタイトルの『六殺』や『頭殺』といったものですが、これらは同格同数系の手法と共通しています。

ちょっと調べた方は知っていると思いますが、たとえば姓の最初の文字の画数と、名前の最後の文字の画数が同じだと凶事があるというもの。はたまた、姓の最初の文字と名の最初の文字など、組み合わせは色々あります。私『青(8)山(3)昂(8)史(5)』も姓の最初の文字と、名の最初の文字の画数が同じであり、同数理論(頭殺)によると人生において波乱が絶えないようなのですが、現在は幸福そのものです。

私はそんな理論の根拠のなさをよく知っているので、全く怖いということはないのですが、恐らく姓名判断をあまり知らない方、特にこれまで不幸な境遇に遭われたという方がこれを指摘された場合は、頭から信じてすぐにでも改名だ!となることは想像に難くありません。しかし、私の姓名判断理論からすると、同格同数を気にして姓名を構成することでむしろバランスの悪い凶名となってしまうことが多いのですから、これは全く笑えません。

また、『鬼』とか『死』など、いかにも恐ろしいような大層な名前が付いている手法は、大抵何の根拠もないものですので、これも名前で分かるようになっています(笑)。

つまり、およそ姓名判断における同格同数理論というものは、『殺』といったいかにも恐ろしい言葉と結びつき、不幸な人々を脅かし信じ込ませるために使われているのです。

なぜ同数があると凶意があるのか?そもそも同数があると悪いというのは嘘

そもそも、なぜ同数の文字や格があると凶意があるのでしょうか?同格凶とうたう者の話には、『なぜ同数があると凶なのか?』という説明が全く出てきません。たとえば人格と外格の相剋関係であれば、五行の相剋関係には『衝突』や『対立』といった意味があるので、その意味から対人運や家庭運における対立不和といった暗示を読み取れます。

しかし、人格と外格が同数ということは、同じ五行に属するということです。これは四柱推命では幇助の関係であり、お互いに助け合うという意味があるはずです。それなのに、同数があると凶というのは一体どういうことでしょうか?実際私の判断では、むしろ隣り合う格に同数があることは幇助があるということなので、吉祥なのです。

また、同格同数のものが凶数であれば凶意は増し、同格同数のものが吉数であれば吉祥が増すというのが自然な考え方ではないでしょうか?やはり、同数だから凶というのは何の根拠もないのです。

そしてこれらの手法には、同格同数が凶だというものもあれば、さきほどの『頭殺』のように同じ画数の文字があってはいけない、というものもあります。つまり、同格同数系の手法は様々な格(文字画)を単に組み合わせて同数理論を作ればいいわけであり、簡単に人を騙したい占い師にとっては大変都合がよく、これが同格同数が大きく広まっている理由なのです。

もうお分かりだと思いますが、すべて同格同数系の手法は何の理論的根拠もないものですので、信じる必要はないのです。

『殺』と付く姓名判断手法はすべて信じないほうが賢明

既にご説明したように四柱推命の『七殺』は意味のあるものですが、姓名判断における『殺』には全く理論的な根拠がなく、いたずらに不幸な人々を怖がらせて儲けようとする意図が透けて見えます。四柱推命における『七殺』は、官が殺に変ずる可能性があるという意味であり、官がすべて殺であるというわけではありません。つまり、命式のバランスによって喜の官(官)もあれば、忌の官(殺)もあるというわけなのです。

そして『殺』に変じた官殺は、実際に日干を強く剋傷するあまり、事故や病気を象徴するものとなります。これが殺に変じた『七殺(偏官)』の意味するところです。

しかし、算命学の『天中殺』や姓名判断の『六殺』『本殺』などは、理論的な根拠がありませんから、その『殺』の意味するところは人を恐ろしがらせるというものであります。つまり人を怖がらせて金を取って改名をうながすも、しかし効果は全然ないばかりか、むしろ運勢の悪い名前になってしまう可能性もあるのです。したがって今のところは『殺』と付く手法はすべて信じない、ということが賢明と言えるでしょう。

また、同格(同画)同数理論についても同じです。自信たっぷりに話す話術巧みな占い師の話を聞いていると、なんだか本当のように聞こえてくるものですが、解説したように全然根拠のないものですので信じる必要も怖がる必要もありません。

以上、最後までお読みいただき誠にありがとうございました