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完璧な姓名はむしろ不運を招きやすいという嘘【姓名判断迷信シリーズ2】

名前が良すぎて逆に不運を招くということは、その名前が実は良くないということの証明

姓名判断に関する記事などを読んでいると、『あまりに運勢が強すぎる名前は逆に不運を招く』とか『吉数揃いの完璧な姓名は運が良すぎて実力が身につかない』といったことを言う人がいますが、これは明らかに間違っています。

なぜなら、結果的にその名前で不運が起こるのであれば、それはむしろ『名前が良くないことの証明』になってしまうからなのです。私の理論では、先天運を考慮した良名を得る事によって、必ず気質・運勢ともに強靱となるものです。

つまり、姓名が良いということは運勢が強いということであり、運勢が強いということは性質的にも調和し剛健であるということなので、運が良すぎて甘えてしまうなんていうことにはならないのです。

運と心(気質)は密接な関係にある。このため、薄弱な気質は運が弱いことを証明している

むしろ、運が強い人というのは積極果敢で用心深く、なおかつ堅実で忍耐強いところがあるため、逆境に大変強いのが特徴です。

特に成功運においては『そもそも目的の達成を諦めないことが成功の鍵』となるため、粘り強い精神力がないとか、意志が弱く中途挫折が多いということは運が弱いということに他なりません。

このように、運とその人の精神とは切っても切り離せない関係にあるのです。なぜなら運勢の強さとは生命力の強さと同義であり、心(気質)が運勢を作るからです。逆に言えば、精神薄弱で怠惰な人に運勢の強い人はなく、強運の人は飄々としているように見えても実は芯が強く野心的であることが特徴なのです。

そもそも完璧な姓名というものはない

またそもそも、『完璧な姓名』や『良すぎる姓名』というものはないんですね。良すぎるということは、やはり『良い』が『過ぎる』ということですので、100%に近いあるいはそれを越えるような強運の姓名ということになると思いますが、理論的にそのような姓名はあり得ません。

なぜなら、運勢というものは姓名と先天運・後天運との関わりによって大きく左右されるからです。そして特に後天運との関わりということになると、後天運は日々刻々と変化していくため、それに合わせて完璧となる姓名など存在し得ません。

具体例を示しますと、例えば位相が総合で元々50点の場合、後天運によって50歳頃は60点、60歳頃は40点という具合に、運勢は常に変化していくものなのです。このため、もし完璧な姓名をもつとすれば、そんな運勢の変化に合わせて常に変えていかなければならないことになってしまいます。

しかし、それは無理というものです。そのため、私は先天運(原局)や大運を参照し、できる限りその人が一生を通じて安定的な生命力・運勢を得られるように、全てのバランスを重視して命名を行っているのです。

ですから、表面上は100点の姓名のように見えても、実際は80点程度とか、それ以下となることも後天運によってはあるでしょう。私も選名の際にはできる限り完璧・100点を目指してはいますが、それでも理論的に100点というものはなく、いくら良くても90点程度になると考えています。

ということで、『良すぎる姓名』とか『完璧な姓名』というものは絶対的に存在し得ないのです。そうであれば、できる限り運勢の強い姓名を求めて、100点を目指すほうがより良いですし、賢明であることは言うまでもありません。

まとめますと、完璧な姓名というものは存在しませんし、不運を招くのであればそれは完璧な姓名ではないということです。

姓名だけで運勢が完結するという幻想

ところで以上を読んでいただくと、姓名だけで運勢が完結するというのは幻想であるということが分かるでしょう。姓名構造というものは、先天運とバランスが取れてはじめて運勢良好な姓名と言えるからです。

こういう私も姓名判断を勉強しはじめたばかりの頃は、姓名の構造だけを考えるだけで『強運の名前』というものは完成し得ると考えていましたが、先天運(四柱推命)を学んでからはその考えを悉く改めさせられました。

ですから、当然の如く姓名だけでもって吉数・三才・陰陽配置・吉字・読み仮名のバランス・その他運格などなどが良くても、先天運と照らし合わせてみるとひどくバランスの悪い姓名となることも往々にしてあり、そういう方々が私のところによく相談に来られるのです。

内容は、『私の姓名は良いはずですが、実際の人生は全然良くありません、不運続きです』のようなことですが、やはり先天運を参照してみると、忌神が大過している方が圧倒的に多いのです。忌神が大過するとどうなるかと言うと、当サイトでも実例を示していますが、最も多いのは病弱・早世の暗示です。

このため、命名・改名に際しては、先天運をうかがい、その解命結果を考慮するということが必須条件であると私は考えています。特に生命力・健康運を強くするというのは絶対条件ですし、そもそも生命力が弱ければ運勢が強くなるはずがないのです。

運が尽きるという大嘘

それから少し話はそれますが、よく占い全般で言われることに『運が尽きる』という大嘘、これについても語っておきたいと思います。どうやら運というものは、石油などの天然資源のようにいつかは尽きてしまうもののようです。

姓名判断の方面でも、運が良すぎる場合は人生の前半で運を使い果たしてしまい、後半生に入って運が尽きてしまいその後の人生は不運となる、のようなことを言っている人を見かけますが、そもそも『運が尽きる』ということ自体があり得ないことなのです。

『運が尽きる』ということは、運は有限であるということになりますが、そもそも運に限りというものはありません(あるとすれば寿命が尽きた時か、地球が滅亡した時でしょう)。ここがそもそもの間違いであり嘘なのです。

たとえば運が有限であるということは、その人の運の初期値(絶対量)は100で、20歳頃には結構運を使ったから80くらいにまで減り、40歳頃には大分運勢を使ったから半分くらいまで減ってしまうということになるでしょうか?そうすると、人によっては20歳くらいで宝くじの1億円が当たって運を使い果たしてしまう、なんてこともあるでしょうか?

宝くじが当たったのは幸運な出来事か?~運の表と裏

しかしよくよく考えてみると、宝くじが当たったのは運が良い出来事なのか?というそもそも論があります。世の中には、宝くじが当たったせいでむしろ悲惨な人生に陥る人もありますので、そうなるとむしろ宝くじが当たったことは悪い事象になるかもしれません。

逆に、その時は不運だと思ったことが、その後の展開を考えてみたらむしろ幸運の出来事だった、ということもよくあることです。こういう風に考えてくると、運の良い出来事って何?どうやって運の善し悪しを決め、今どのくらい運量が残っているの?と考え込んでしまいます。

ところが、実はこういった運に対する考え方自体がズレているということなのです。

なぜなら、運は流動的であり、その時によって刻々と変化していくものだからです。その流れは大運や流年運の干支が教えてくれるように、しかも月運・日運・剋運・時分と小刻みに流れ、常にその量も質も変化していきます。このため、運に決まった量というのはなく、したがって運が尽きるということもないのです。

ちなみにこのような運勢の起伏を知ることができるのが歳運(大運・流年運などの干支)であり、宝くじが当たった人はその時は喜神運であっても、忌神運が巡ることによってその後破財するということが読めるのです。

さらに、運勢はその人の心次第で変わっていくことも考えると、さらに運勢というものは複雑となります。つまり、その時々によって運勢の強さは変化するわけであり、どんな人にも運の強い時期・弱い時期がありますから、運を使い切ってしまうのではないかという馬鹿げた心配をする必要はない、というかそう考えること自体が心や行動力を弱らせ、運勢を落としてしまうということに気づかなければならないのです。

ちなみに運のエネルギーは、その生命体に依存していますので、分かりやすく言えば『生命力=運勢』ということにはなりますが、四柱推命ではその生命力の源泉は太陽(天体)と地球(地支)と人間(人元)の三つの関係性によって定義されています。このため、運勢もある程度は宇宙からのエネルギーの影響を受けており、人間の力だけではどうにもできない部分があることになります。

そして運勢というものは肉体と違い、年齢に比例して弱くなっていくものではないため、老人だからもう運は尽きたと悲観する必要もないのです。